東京工芸大学 写大ギャラリー(所在地:東京中野区)では、2011年1月31日 から3月21日 まで、“土門拳写真展「心」-古寺巡礼第四集より-”を開催します。
タイトル : 土門拳写真展「心」-古寺巡礼第四集より-
会 期 : 2011年1月31日(月) ~ 2011年3月21日(月) 10:00~20:00 (期間中無休)
会 場 : 写大ギャラリー (東京工芸大学 中野キャンパス内)
〒164-8678 東京都中野区本町2−4−7 芸術情報館2F
TEL 03-3372-1321 (代)
地下鉄丸ノ内線/大江戸線 中野坂上駅下車1番出口・徒歩7分
入場料 : 無料
展示作品 : カラー・白黒写真作品約45点
主 催 : 東京工芸大学芸術学部
[写真展概要]
「そろそろ『古寺巡礼』第四集の編集にとりかかろうとしていた矢先、ぼくは脳溢血再発のために倒れてしまった。昭和四十三年六月のことである。」古寺巡礼第四集の巻頭に出てくる文章である。土門は古寺巡礼の三集の編集を終えた直後に脳溢血再発で闘病生活を二年間の長きに亘り強いられた。その間第四集のことが頭から離れずつらいリハビリも精神力で乗り切った。第四集には「情緒的にあるいは懐古的に被写体と接したことはない。」と語られ、それまでの古寺巡礼は強い信念に支えられて作品を制作してきた。それは対象を客観的に捉える態度であった。
飛鳥から始め、奈良、平安を経て、鎌倉、室町、桃山に至る全五集の中で、第四集は平安時代から鎌倉時代にいたる石塔、石仏を多く収録している。「それらの石塔、石仏はおおらかで、そしてやさしい。ぼくの心を一番ゆさぶるものたちである。」としたためている。それらの石仏の「前に立ってしばらくその顔を眺めていると、にっこりとぼくに微笑みかけてくる。ほのぼのとした笑みである。」
また「あるとき娘の真魚が撮影についてきたことがある。撮影に熱中していた顔を上げると,この真魚が椿を飾って手を合わせているではないか。その後姿はおよそ東京の娘には見えず、またその二尊仏に添えられた花も村の娘がお供えしたように素朴であった。日頃絶対非演出を唱えているぼくも、このときばかりはそのままシャッターを切ったのである。」とある。
今回は第四集より「土門の心にみえた仏像」に注目して写真展を構成しました。どうぞご高覧ください。
【お問合せ先】
東京工芸大学 広報課
担当: 林 哲也
電話: / FAX:
e-mai:
土門 拳(どもん けん)
1909 年山形県生まれ。中学時代より画家を志すが、家の事情で断念。1933 年に営業写真館である宮内幸太郎写真場の内弟子となるが、報道写真家を目指し、34 年にはドイツから帰国した名取洋之助の設立した日本工房に入社し、対外宣伝誌『NIPPON』で数多くの撮影を手がける。戦後は絶対非演出の「リアリズム写真」をカメラ雑誌などで提唱し、多くの写真家に影響を与えた。1958 年『ヒロシマ』で国内外で高い評価を得、筑豊炭鉱地帯の悲惨な状況を取材した1960 年出版の『筑豊のこどもたち』は10 万部を超えるベストセラーとなる。その後、仏像や寺院、古陶磁などの伝統工芸品や風景など、一貫して日本の美を撮り続けた。
1979 年に脳血栓を起こして昏睡状態となり、その後目覚める事なく1990 年に心不全のため死去。
「古寺巡礼」(こじ じゅんれい)
土門拳の晩年のライフワークといえる日本各地の古い寺院や仏像などを撮影した作品。1963 年に第一集が完成し、第二集1965 年、第三集1968 年、第四集1971 年、第五集が1975 年に出版され、全五冊にて完結した。 法隆寺から始まり、三十三間堂の撮影をもって終了した約15 年間の撮影で訪れた寺院は39 ヶ所を数え、テキストもすべて土門自身が書き下ろした。
タイトル : 土門拳写真展「心」-古寺巡礼第四集より-
会 期 : 2011年1月31日(月) ~ 2011年3月21日(月) 10:00~20:00 (期間中無休)
会 場 : 写大ギャラリー (東京工芸大学 中野キャンパス内)
〒164-8678 東京都中野区本町2−4−7 芸術情報館2F
TEL 03-3372-1321 (代)
地下鉄丸ノ内線/大江戸線 中野坂上駅下車1番出口・徒歩7分
入場料 : 無料
展示作品 : カラー・白黒写真作品約45点
主 催 : 東京工芸大学芸術学部
[写真展概要]
「そろそろ『古寺巡礼』第四集の編集にとりかかろうとしていた矢先、ぼくは脳溢血再発のために倒れてしまった。昭和四十三年六月のことである。」古寺巡礼第四集の巻頭に出てくる文章である。土門は古寺巡礼の三集の編集を終えた直後に脳溢血再発で闘病生活を二年間の長きに亘り強いられた。その間第四集のことが頭から離れずつらいリハビリも精神力で乗り切った。第四集には「情緒的にあるいは懐古的に被写体と接したことはない。」と語られ、それまでの古寺巡礼は強い信念に支えられて作品を制作してきた。それは対象を客観的に捉える態度であった。
飛鳥から始め、奈良、平安を経て、鎌倉、室町、桃山に至る全五集の中で、第四集は平安時代から鎌倉時代にいたる石塔、石仏を多く収録している。「それらの石塔、石仏はおおらかで、そしてやさしい。ぼくの心を一番ゆさぶるものたちである。」としたためている。それらの石仏の「前に立ってしばらくその顔を眺めていると、にっこりとぼくに微笑みかけてくる。ほのぼのとした笑みである。」
また「あるとき娘の真魚が撮影についてきたことがある。撮影に熱中していた顔を上げると,この真魚が椿を飾って手を合わせているではないか。その後姿はおよそ東京の娘には見えず、またその二尊仏に添えられた花も村の娘がお供えしたように素朴であった。日頃絶対非演出を唱えているぼくも、このときばかりはそのままシャッターを切ったのである。」とある。
今回は第四集より「土門の心にみえた仏像」に注目して写真展を構成しました。どうぞご高覧ください。
【お問合せ先】
東京工芸大学 広報課
担当: 林 哲也
電話: / FAX:
e-mai:
土門 拳(どもん けん)
1909 年山形県生まれ。中学時代より画家を志すが、家の事情で断念。1933 年に営業写真館である宮内幸太郎写真場の内弟子となるが、報道写真家を目指し、34 年にはドイツから帰国した名取洋之助の設立した日本工房に入社し、対外宣伝誌『NIPPON』で数多くの撮影を手がける。戦後は絶対非演出の「リアリズム写真」をカメラ雑誌などで提唱し、多くの写真家に影響を与えた。1958 年『ヒロシマ』で国内外で高い評価を得、筑豊炭鉱地帯の悲惨な状況を取材した1960 年出版の『筑豊のこどもたち』は10 万部を超えるベストセラーとなる。その後、仏像や寺院、古陶磁などの伝統工芸品や風景など、一貫して日本の美を撮り続けた。
1979 年に脳血栓を起こして昏睡状態となり、その後目覚める事なく1990 年に心不全のため死去。
「古寺巡礼」(こじ じゅんれい)
土門拳の晩年のライフワークといえる日本各地の古い寺院や仏像などを撮影した作品。1963 年に第一集が完成し、第二集1965 年、第三集1968 年、第四集1971 年、第五集が1975 年に出版され、全五冊にて完結した。 法隆寺から始まり、三十三間堂の撮影をもって終了した約15 年間の撮影で訪れた寺院は39 ヶ所を数え、テキストもすべて土門自身が書き下ろした。