2020/03/09 19:25
出版・マスコミ
3月4日(水) 、TSUTAYA O-WEST。生きることから逃げないために、あの日僕らは逃げ出した(以下、生き逃げ)は、自分たちが次のステージへ進むための大きな勝負の場として、500人を超えるキャパシティの会場でワンマン公演を行うことを決めた。そのために彼らは、長い期間準備を行い、一人でも多くの人たちを呼び込もうと、街中に出てはフライヤーを配るなど地道な活動を行ないながら、この日の公演を笑顔で終えるための準備を心がけてきた。その想いを受け止め、本来なら大勢の人たちが会場に足を運ぶはずだった…。
本番の二日前まで、囚人たちはライブを行なうためにあらゆる準備を進めていた。だが、世の中の人たちの心へ不安を投げかける、新型ウィルスという驚異が膨らみだしたことにより、囚人たちはライブ前日に「本番を無観客でやり、ライブの模様をYouTubeで生配信する」ことを決めた。これは、自分たちの生きざまを楽しみにしてくれていた人たちに、「想い」をきちんとこの日に伝えたかったからだった。
先にこの日の感想を述べるなら、役者たちが集まり、アドリブ混じりの演技と歌で想いを届けてゆくスタイルを軸にしている生き逃げに、無観客ライブは似合わない。常に目の前にいるお客さんたちに想いを投げかけ、そこで返ってくる熱を喰らい、それを増幅し投げ返すやりとりを繰り返すことで、彼らはその場に興奮や高揚、嗚咽や涙を導き出し、感動や絶叫を沸き起こすスタイルを取ってゆく。もちろん役者陣だけに、たとえ無観客だろうと、気持ちを集中させ、全力でパフォーマンスへ打ち込むことも可能だし、この日もそれを心がけていた。画面越しに観ている人たちの存在を認識しているとはいえ、リアクションのない振りを示す姿を観ていたら、一抹の淋しさを感じずにはいれなかった。けっして一方通行の気持ちではなかった。でも、目の前に想いを受け止める人の息吹がない以上は、やはり投げっぱなしでしかなかった…。
この日も終身刑に服する囚人たちは、絶望の中で生きる意味や、それでも夢みることを忘れないからこそ人間であることを、ときに自分たちの半生を語り、ときに過去の自分にすがりながら、希望の見えない中で生きる意味を模索していた。それは、自分たちが「生きることから逃げないため」の術。逃げずに立ち向かう自分の気持ち次第で、虚無の中にもかならず光が射すと信じ、囚人たちはそれぞれが人生をさらけ出す物語を通して伝えた。
『第三回囚人博覧会~拝啓 お父様、お母様、渋谷の牢獄の中で僕たちは~』と題し行われたこの日の物語。囚人たちの熱い想いが、少しでも伝わったら幸いだ。
ライブ前に舞台へ勢揃いした役者陣が円陣を組んで行った、「俺たちみんなで伝説を作ろう!!」の気合い入れ。その想いを胸に、彼らは舞台へ挑んでいた。この日は、生バンドを従えたスタイル。いつも以上の迫力を持って、物語を描くことも楽しみだ。
「脱獄」…それは、何から? 何処から逃げることを指すのか…。寅雄が、切々としたピアノの音色や、次第に音を重ねるバンド演奏に乗せ、今宵の物語を語りだす。それは夢物語なのか、それとも…。寅雄は言った、「生きることから逃げないために、あの日僕らは逃げ出した」と…。さぁ、一億総囚人の皆様「囚人博覧会」の始まりだ!!
群がるように、次々と囚人たちが舞台へ姿を現す。白塗りの曲者どもが、「Say What!?」に乗せ雄々しく声を張り上げる。それは「生」を謳歌する宴なのか、それとも憤りをぶち撒け、暴欲に酔いしれようとしてなのか。奴らは何度も何度も歌う、「生きることから逃げないために」と。
さすが舞台役者たち。目の前に観客たちがいなくとも。むしろ、カメラレンズの先から大勢の人たちの視線が注がれているのを知っているからこそ、彼らは、いつも通り舞台の上へ物語を描きだし始めた。
「ここにいる全員が、生き逃げという船の船員だ」「ここ、船ではないよ」などコミカルなやり取りも交わしつつ、楽曲は、囚人たちがタオルを大きく振りまわす「順風満帆」へ。たとえ視界に観客たちが入らなかろうと、彼らは「この手を伸ばして」と目一杯声を張り上げ、大きくタオルを振り回し、未来へ向けて突き進む強い意志を高らかに歌い、叫んでいた。伸ばした声の手は、画面の先の人たちにもしっかり届いていただろうか。囚人たちはそれを信じ、いつものように全力で気持ちをぶつけていた。
「狼煙の先に見えるだろう、俺らの血液、赤い旗」。公演ではお馴染み「アディオス」の登場だ。雄々しく躍動する楽曲の上で、囚人たちはスローモーな動きを模しながら、過去の自分たちを鼓舞するように、それぞれがみずからの半生を語り、反省を吹き飛ばすよう心の叫びをラップに乗せていた。そう、これが俺らの生きるための宣言であり、宣戦布告だと告げるように。
物語の舞台は、監獄へ。看守と囚人たちとのコミカルなやり取り。画面の先で観ている一億総囚人へ声を飛ばす看守、その声は、どのように響いていただろうか。彼らは、終身刑を告げられた囚人たち。観客たちを前にしたいつもの公演では、フロアに生まれる熱や人が発する好奇心の空気を吸って、演技に色を塗り重ねてゆく。でも今日は、何のリアクションもない中、それでも、この日に賭ける想いをぶつけていた。観ている人たちをクスッとさせるネタも巧みに折り込み、進むステージ。無観客ライブでは、笑える小話さえどうしても客観視してしまう。それでも彼らは、想いを伝えようと心のテンションを高く上げ、自分たちを鼓舞し続けていた。
絶望の中に生きていてさえも、自分たちはヒーローになれるのだろうか…。生き逃げ流戦隊ソング「脱獄戦隊ニゲルンジャー」では、首になびくマフラーを巻き、自分たちの存在を、憧れ抱くヒーローとして正当化??してゆく。続く、ファンキーなパーティーソウルチューン「かつらがとれた」でも、全員でパワフルなダンスを披露。華やかな楽曲の上で凛々しく声を、熱を上げてゆく。とはいえ、人の空気を吸って熱を膨らませるのが舞台であり、ライブ。一方通行の華やかさを、画面越しの人たちはどう捉えていたのかも知りたいところだ。もちろん囚人たちは、そこに人がいる前提で、気持ちのテンションを高めながら歌い躍っていた。目の前では何もリアクションが起きないのを知りながらガンガン煽りたてていた。
「雨は嫌いだ」と唱えるヒコボシ。寅雄は、その姿を観て、「輝きを隠す雨の中でもヒコボシが好きだ」と語りだす。輝きとは、何かに邪魔され消されるものではない。自分が過去にすがることで、あるべき光に影が差すこともある。その陰りを消し去り笑顔に変えてゆくのは、すべて自分次第。そうしたら、雨だってヒコボシは好きになれるかも知れない。
ライブは、ヒコボシを中心にした囚人アイドルユニット「ヒコスター withミニスターズ」のステージへ。囚人たちは笑顔を取り戻そうと、「今夜君を連れて」を華やかに歌い躍りだす。弾けた歌謡ポップナンバーを通し彼らは伝えてきた、キラキラと輝く術とは何なのかを。その人自身の心が光を連れてくれば、雨雲だって消し去れる。そんな生きざまを、彼らはアイドルという憧れの存在を演じることで伝えていた。
歌い終え、「楽しいな」と呟いた囚人たち。絶望の中でさえ、囚人たちは楽しさを見いだせることを発見していた。続くエレクトロダンスチューンの「泣き顔フリーマーケット」でも、アイドルという偶像を演じることで、囚人たちは輝く術をつかんでいた。その様を通し、誰だって心の持ちようで輝けることを彼らは証明していった。たとえそれが監獄の中だろうと…。
今回はライブを軸に据えた構成のように、ストーリーとしてではなく、ライブという体感的なスタイルを持って人の心を揺さぶるアプローチを生き逃げは示していた。キラキラ輝くファンキーなパーティーチューン「監獄パラダイス」に乗せ、囚人たちが笑顔で歌い躍りだす。ヒコスター withミニスターズのライブもクライマックスへ。カリスマアイドルスターだったヒコボシが、何故堕ちた囚人になったのか。どうして笑顔や未来を消してしまったのか。その陰りをどう消し去り、心に光を満たすのか…。アイドルという偶像を通し囚人たちが伝えようとしていた真意を、あなたはどう受け止めただろうか…。
ここからは、赤鼻の独断場ヘ。「平和を盛大に歌え」「わたしは伝説を作る」と赤鼻は叫ぶ。赤鼻が、「平和のために」と渋谷の街中でフリーハグを行った映像が流れだす。人を幸せにしようと演じたピエロの姿へ忌避感を覚え、誰も寄ってこない現実。その中で感じる絶望と憤り。赤鼻は叫ぶ、「俺は無敵だと思っていたからさ、絵に描いたような夢を追いかけた」。でも赤鼻は、いつしか自分が人に媚びたピエロと化していたことに気付く。「俺だって幸せを与える存在になれるはず。やればできるはずなのに…」と呟きながら…。
赤鼻は、歌う「考えたことあるだろう、誰かのヒーローになってみたいと。言われたことがあるだろう、あんたはやればできる子なんだからと」と、赤鼻は自分自身を認めようと、感情を鼓舞するように「やればできる子なんだから」を絶唱していた。地球平和を通し誰かを救うという名目を掲げつつも、赤鼻は、誰かに必要とされる存在として認めてもらおうと自分を主張してゆく。誰だって自分を認めて欲しいと思い、もがき、あがいている。そんな挫けそうな心の声を、赤鼻は自分の半生を語ることでぶつけていた。
抜け出せない現実の中、いつしかもがくのを諦め、絶望にひれ伏した姿を晒す囚人たち。それでも、ここから抜け出すという夢を見ることの大切さを、寅雄は語りかける。寅雄は囚人たちに誘いをかけた、「全員で脱獄しないか」と。それが、絶望の中からでさえ希望を見いだす手段や自分を鼓舞する力になるのなら、ときには悪さえも人を動かす希望になる。囚人たちが脱獄を試みる様の中に描きだしたのは、そんな姿だった。エレクトロダンスチューン「木魚バター」に乗せ脱獄に興じる姿を通し、絶望から逃げ出すとはどういうことなのか、生きることから逃げないために、あの日に僕らが逃げ出した理由とは何かを訴えかけていた。囚人たちは逃げていた。それは一体何から逃げていたのだろうか。逃げることで、囚人たちは前へ進んでいたのだろうか…。
逃げきれなかった…自由を手に出来なかった囚人たちは絶叫する。「何ができる、俺たちに何ができる」「今を生きるために俺たちは何ができるんだろう」。奇麗事など通用しない世の中だからこそ、彼らは叫ぶ。楽曲は、囚人たちの心の叫びをえぐり取るように「絶叫」へ。彼らは歌う「生きることから逃げないために、あの日僕らは逃げ出した」はずなのにと。その意味を、一人一人が心の叫びを歌に乗せ語っていた。それぞれの背景にある、過去の栄光を示すように…。そこから逃げ出した自分を晒すように…。
楽曲は「令和維新だバカヤロー!」へ。看守が振り回す真っ赤の旗のもとへ集った囚人たちが叫んでいた、「また同じ過ちを繰り返すのか」と。いつしか囚人たちの魂の叫びに、心が強く引きつけられていた。
ドンキーが、俤が、時雨が、平成が、心の叫びを絶叫に変えだした。奇麗事なんかいらない。たった一歩を踏み出すことすら出来ない自分がいる現実を知った上で、それでも踏み出したい葛藤を、彼らは絶望の淵に立ち、そこで希望を叫びながらもがいていた。自分で作り上げた心の檻に捕らわれた囚人たちは叫んでいた、自分たちだってヒーローになってみたいし、もう一度踏み出せる希望を探したいんだと…。
彼らは「永遠」に乗せ歌う、「永遠だったらいいな」と。自由を奪われた中だからこそ想い、憧れる夢や希望。終身刑という希望を奪われた人生の中で、彼らは生きるための夢をどうつかめば良いのかを模索し続けてゆく。自由である我々もまた、心の檻に捕らわれ、夢を浮かべながらも、踏み出す一歩の勇気を持てずにもがき続けている。もしかしたら僕らも囚人??いや、囚人と決めつけているのは僕ら自身の心。その檻を壊して飛びだせるかは自分次第。固い鉄の棒をねじ曲げる力を持つのはとても勇気のいることだ。でも…彼らは、画面越しの人たちへ「自分の声を信じよう、大丈夫だから」と歌いかけていた。
「永遠に続いていいわけねぇだろ、こんな時代が!」と叫ぶ寅雄。「俺たちはこんなライブ配信なんかやりたくねぇ。ライブじゃねぇ、こんなもの。演劇でもねぇ、見せ物だ!!顔の見えねぇ表現なんてないだろ。批判ばっかりしているこの時代に、誰が悪いか追及しているこの時代に、未来はない!自分で決めろ!他人の時代じゃねぇ、俺たちの時代が来るぞ!俺たちのせいだぞ!何の関心もねぇからこんなことになっちまったよ。俺はこんなもんじゃないことを知ってる。今にみとけよ!武道館なんか軽く超えてやるぞ。絶対に見せてやる、俺たちだけのユートピア!」と。
「笑うなら笑えよ、笑ってみろよ大声でよ、ちきしょー」。囚人たちは叫ぶ、「笑うなら笑え」と。躍動する「ユートピア」に乗せ,自分たちの生きざまを示しながら、それでも「笑うなら笑え」と叫んでいた。彼らは約束してくれた、またここに帰ってくると。人と人とが目の前で顔を突き合わせ、互いの体温を感じ、交わりあう日をまた作ろうと。それが、自分たちの求めるユートピアだと知っているからこそ…。それでも、彼らの生きざまを見て笑いたい奴がいるなら笑えばいい、彼らはそれでも笑い続ける。自分たちの選んだ人生を謳歌するために、高笑いし続けてゆく…。
「生きることからまた逃げるのか」と歌い叫び、自分を主張しだす囚人たち。アンコールで囚人たちは、「生き恥さらし」を雄々しくぶつけだす。 何度も繰り返される「生きることからまた逃げるのか」という問いかけ。それこそが、生き逃げが追い求める命題。だからこそ、何時も何度も自分に「生きることからまた逃げるのか」と問いかけてゆく。その言葉を受け止めた人たちは、何を感じていただろうか。あなたは自分から逃げていないか。生きることから逃げることが、本当にあなたにとって正しい答えなのか…。
寅雄は言った、「生きることから逃げ出したくなったときに聴いてもらいたいラブソング」と。温かい気持ちを胸に、少しだけ夢のある歌を、はにかんだ笑みを浮かべ、囚人たちは歌っていた。本当ならここで、涙目で大きく手を振る人たちの姿がフロアにあったはず。彼らはその悔しさを、画面越しに触れている人たちにぶつけていた。「うまくいかないときは もっとうまくいってない俺たちをみて笑ってくれよ」俺たちは生き恥さらしてでも生きていくからよと…。
この物語は、何も終わってはいない。これは盛大な公開リハーサルだ。生き恥をさらし、声を枯らして叫ぶ大人たちの本気を、今度は目の前で受け止めたい。その本番のときを心待ちにしようじゃないか。夢を求めるため、彼らは生きるためにそこからまた一歩を踏み出してゆく。その一歩を、ぜひ一緒に踏み出そう。あなた自身も「生きることから逃げないため」に…。
<SET LIST>
M01 プロローグ
M02 Say What!?
M03 順風満帆
M04 アディオス
M05 脱獄戦隊ニゲルンジャー
M06 かつらがとれた
M07 今夜君を連れて
M08 泣き顔フリーマーケット
M09 監獄パラダイス
M10 やればできる子なんだから
M11 木魚バター
M12 絶叫
M13 令和維新だバカヤロー!
M14 永遠(高田エージ cover)
M15 ユートピア
enc1 生き恥さらし
enc2 生きることから逃げ出したくなったときに聴いてもらいたいラブソング
【無観客LIVEフルVer.】第三回囚人博覧会 LIVE配信アーカイブ【渋谷 TSUTAYA O-WEST】
PHOTO:chitose
TEXT:長澤智典
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https://ikinige.therestaurant.jp/
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https://www.youtube.com/channel/UCybT9grFA_8RYt1BrjmNSoQ
本番の二日前まで、囚人たちはライブを行なうためにあらゆる準備を進めていた。だが、世の中の人たちの心へ不安を投げかける、新型ウィルスという驚異が膨らみだしたことにより、囚人たちはライブ前日に「本番を無観客でやり、ライブの模様をYouTubeで生配信する」ことを決めた。これは、自分たちの生きざまを楽しみにしてくれていた人たちに、「想い」をきちんとこの日に伝えたかったからだった。
先にこの日の感想を述べるなら、役者たちが集まり、アドリブ混じりの演技と歌で想いを届けてゆくスタイルを軸にしている生き逃げに、無観客ライブは似合わない。常に目の前にいるお客さんたちに想いを投げかけ、そこで返ってくる熱を喰らい、それを増幅し投げ返すやりとりを繰り返すことで、彼らはその場に興奮や高揚、嗚咽や涙を導き出し、感動や絶叫を沸き起こすスタイルを取ってゆく。もちろん役者陣だけに、たとえ無観客だろうと、気持ちを集中させ、全力でパフォーマンスへ打ち込むことも可能だし、この日もそれを心がけていた。画面越しに観ている人たちの存在を認識しているとはいえ、リアクションのない振りを示す姿を観ていたら、一抹の淋しさを感じずにはいれなかった。けっして一方通行の気持ちではなかった。でも、目の前に想いを受け止める人の息吹がない以上は、やはり投げっぱなしでしかなかった…。
この日も終身刑に服する囚人たちは、絶望の中で生きる意味や、それでも夢みることを忘れないからこそ人間であることを、ときに自分たちの半生を語り、ときに過去の自分にすがりながら、希望の見えない中で生きる意味を模索していた。それは、自分たちが「生きることから逃げないため」の術。逃げずに立ち向かう自分の気持ち次第で、虚無の中にもかならず光が射すと信じ、囚人たちはそれぞれが人生をさらけ出す物語を通して伝えた。
『第三回囚人博覧会~拝啓 お父様、お母様、渋谷の牢獄の中で僕たちは~』と題し行われたこの日の物語。囚人たちの熱い想いが、少しでも伝わったら幸いだ。
ライブ前に舞台へ勢揃いした役者陣が円陣を組んで行った、「俺たちみんなで伝説を作ろう!!」の気合い入れ。その想いを胸に、彼らは舞台へ挑んでいた。この日は、生バンドを従えたスタイル。いつも以上の迫力を持って、物語を描くことも楽しみだ。
「脱獄」…それは、何から? 何処から逃げることを指すのか…。寅雄が、切々としたピアノの音色や、次第に音を重ねるバンド演奏に乗せ、今宵の物語を語りだす。それは夢物語なのか、それとも…。寅雄は言った、「生きることから逃げないために、あの日僕らは逃げ出した」と…。さぁ、一億総囚人の皆様「囚人博覧会」の始まりだ!!
群がるように、次々と囚人たちが舞台へ姿を現す。白塗りの曲者どもが、「Say What!?」に乗せ雄々しく声を張り上げる。それは「生」を謳歌する宴なのか、それとも憤りをぶち撒け、暴欲に酔いしれようとしてなのか。奴らは何度も何度も歌う、「生きることから逃げないために」と。
さすが舞台役者たち。目の前に観客たちがいなくとも。むしろ、カメラレンズの先から大勢の人たちの視線が注がれているのを知っているからこそ、彼らは、いつも通り舞台の上へ物語を描きだし始めた。
「ここにいる全員が、生き逃げという船の船員だ」「ここ、船ではないよ」などコミカルなやり取りも交わしつつ、楽曲は、囚人たちがタオルを大きく振りまわす「順風満帆」へ。たとえ視界に観客たちが入らなかろうと、彼らは「この手を伸ばして」と目一杯声を張り上げ、大きくタオルを振り回し、未来へ向けて突き進む強い意志を高らかに歌い、叫んでいた。伸ばした声の手は、画面の先の人たちにもしっかり届いていただろうか。囚人たちはそれを信じ、いつものように全力で気持ちをぶつけていた。
「狼煙の先に見えるだろう、俺らの血液、赤い旗」。公演ではお馴染み「アディオス」の登場だ。雄々しく躍動する楽曲の上で、囚人たちはスローモーな動きを模しながら、過去の自分たちを鼓舞するように、それぞれがみずからの半生を語り、反省を吹き飛ばすよう心の叫びをラップに乗せていた。そう、これが俺らの生きるための宣言であり、宣戦布告だと告げるように。
物語の舞台は、監獄へ。看守と囚人たちとのコミカルなやり取り。画面の先で観ている一億総囚人へ声を飛ばす看守、その声は、どのように響いていただろうか。彼らは、終身刑を告げられた囚人たち。観客たちを前にしたいつもの公演では、フロアに生まれる熱や人が発する好奇心の空気を吸って、演技に色を塗り重ねてゆく。でも今日は、何のリアクションもない中、それでも、この日に賭ける想いをぶつけていた。観ている人たちをクスッとさせるネタも巧みに折り込み、進むステージ。無観客ライブでは、笑える小話さえどうしても客観視してしまう。それでも彼らは、想いを伝えようと心のテンションを高く上げ、自分たちを鼓舞し続けていた。
絶望の中に生きていてさえも、自分たちはヒーローになれるのだろうか…。生き逃げ流戦隊ソング「脱獄戦隊ニゲルンジャー」では、首になびくマフラーを巻き、自分たちの存在を、憧れ抱くヒーローとして正当化??してゆく。続く、ファンキーなパーティーソウルチューン「かつらがとれた」でも、全員でパワフルなダンスを披露。華やかな楽曲の上で凛々しく声を、熱を上げてゆく。とはいえ、人の空気を吸って熱を膨らませるのが舞台であり、ライブ。一方通行の華やかさを、画面越しの人たちはどう捉えていたのかも知りたいところだ。もちろん囚人たちは、そこに人がいる前提で、気持ちのテンションを高めながら歌い躍っていた。目の前では何もリアクションが起きないのを知りながらガンガン煽りたてていた。
「雨は嫌いだ」と唱えるヒコボシ。寅雄は、その姿を観て、「輝きを隠す雨の中でもヒコボシが好きだ」と語りだす。輝きとは、何かに邪魔され消されるものではない。自分が過去にすがることで、あるべき光に影が差すこともある。その陰りを消し去り笑顔に変えてゆくのは、すべて自分次第。そうしたら、雨だってヒコボシは好きになれるかも知れない。
ライブは、ヒコボシを中心にした囚人アイドルユニット「ヒコスター withミニスターズ」のステージへ。囚人たちは笑顔を取り戻そうと、「今夜君を連れて」を華やかに歌い躍りだす。弾けた歌謡ポップナンバーを通し彼らは伝えてきた、キラキラと輝く術とは何なのかを。その人自身の心が光を連れてくれば、雨雲だって消し去れる。そんな生きざまを、彼らはアイドルという憧れの存在を演じることで伝えていた。
歌い終え、「楽しいな」と呟いた囚人たち。絶望の中でさえ、囚人たちは楽しさを見いだせることを発見していた。続くエレクトロダンスチューンの「泣き顔フリーマーケット」でも、アイドルという偶像を演じることで、囚人たちは輝く術をつかんでいた。その様を通し、誰だって心の持ちようで輝けることを彼らは証明していった。たとえそれが監獄の中だろうと…。
今回はライブを軸に据えた構成のように、ストーリーとしてではなく、ライブという体感的なスタイルを持って人の心を揺さぶるアプローチを生き逃げは示していた。キラキラ輝くファンキーなパーティーチューン「監獄パラダイス」に乗せ、囚人たちが笑顔で歌い躍りだす。ヒコスター withミニスターズのライブもクライマックスへ。カリスマアイドルスターだったヒコボシが、何故堕ちた囚人になったのか。どうして笑顔や未来を消してしまったのか。その陰りをどう消し去り、心に光を満たすのか…。アイドルという偶像を通し囚人たちが伝えようとしていた真意を、あなたはどう受け止めただろうか…。
ここからは、赤鼻の独断場ヘ。「平和を盛大に歌え」「わたしは伝説を作る」と赤鼻は叫ぶ。赤鼻が、「平和のために」と渋谷の街中でフリーハグを行った映像が流れだす。人を幸せにしようと演じたピエロの姿へ忌避感を覚え、誰も寄ってこない現実。その中で感じる絶望と憤り。赤鼻は叫ぶ、「俺は無敵だと思っていたからさ、絵に描いたような夢を追いかけた」。でも赤鼻は、いつしか自分が人に媚びたピエロと化していたことに気付く。「俺だって幸せを与える存在になれるはず。やればできるはずなのに…」と呟きながら…。
赤鼻は、歌う「考えたことあるだろう、誰かのヒーローになってみたいと。言われたことがあるだろう、あんたはやればできる子なんだからと」と、赤鼻は自分自身を認めようと、感情を鼓舞するように「やればできる子なんだから」を絶唱していた。地球平和を通し誰かを救うという名目を掲げつつも、赤鼻は、誰かに必要とされる存在として認めてもらおうと自分を主張してゆく。誰だって自分を認めて欲しいと思い、もがき、あがいている。そんな挫けそうな心の声を、赤鼻は自分の半生を語ることでぶつけていた。
抜け出せない現実の中、いつしかもがくのを諦め、絶望にひれ伏した姿を晒す囚人たち。それでも、ここから抜け出すという夢を見ることの大切さを、寅雄は語りかける。寅雄は囚人たちに誘いをかけた、「全員で脱獄しないか」と。それが、絶望の中からでさえ希望を見いだす手段や自分を鼓舞する力になるのなら、ときには悪さえも人を動かす希望になる。囚人たちが脱獄を試みる様の中に描きだしたのは、そんな姿だった。エレクトロダンスチューン「木魚バター」に乗せ脱獄に興じる姿を通し、絶望から逃げ出すとはどういうことなのか、生きることから逃げないために、あの日に僕らが逃げ出した理由とは何かを訴えかけていた。囚人たちは逃げていた。それは一体何から逃げていたのだろうか。逃げることで、囚人たちは前へ進んでいたのだろうか…。
逃げきれなかった…自由を手に出来なかった囚人たちは絶叫する。「何ができる、俺たちに何ができる」「今を生きるために俺たちは何ができるんだろう」。奇麗事など通用しない世の中だからこそ、彼らは叫ぶ。楽曲は、囚人たちの心の叫びをえぐり取るように「絶叫」へ。彼らは歌う「生きることから逃げないために、あの日僕らは逃げ出した」はずなのにと。その意味を、一人一人が心の叫びを歌に乗せ語っていた。それぞれの背景にある、過去の栄光を示すように…。そこから逃げ出した自分を晒すように…。
楽曲は「令和維新だバカヤロー!」へ。看守が振り回す真っ赤の旗のもとへ集った囚人たちが叫んでいた、「また同じ過ちを繰り返すのか」と。いつしか囚人たちの魂の叫びに、心が強く引きつけられていた。
ドンキーが、俤が、時雨が、平成が、心の叫びを絶叫に変えだした。奇麗事なんかいらない。たった一歩を踏み出すことすら出来ない自分がいる現実を知った上で、それでも踏み出したい葛藤を、彼らは絶望の淵に立ち、そこで希望を叫びながらもがいていた。自分で作り上げた心の檻に捕らわれた囚人たちは叫んでいた、自分たちだってヒーローになってみたいし、もう一度踏み出せる希望を探したいんだと…。
彼らは「永遠」に乗せ歌う、「永遠だったらいいな」と。自由を奪われた中だからこそ想い、憧れる夢や希望。終身刑という希望を奪われた人生の中で、彼らは生きるための夢をどうつかめば良いのかを模索し続けてゆく。自由である我々もまた、心の檻に捕らわれ、夢を浮かべながらも、踏み出す一歩の勇気を持てずにもがき続けている。もしかしたら僕らも囚人??いや、囚人と決めつけているのは僕ら自身の心。その檻を壊して飛びだせるかは自分次第。固い鉄の棒をねじ曲げる力を持つのはとても勇気のいることだ。でも…彼らは、画面越しの人たちへ「自分の声を信じよう、大丈夫だから」と歌いかけていた。
「永遠に続いていいわけねぇだろ、こんな時代が!」と叫ぶ寅雄。「俺たちはこんなライブ配信なんかやりたくねぇ。ライブじゃねぇ、こんなもの。演劇でもねぇ、見せ物だ!!顔の見えねぇ表現なんてないだろ。批判ばっかりしているこの時代に、誰が悪いか追及しているこの時代に、未来はない!自分で決めろ!他人の時代じゃねぇ、俺たちの時代が来るぞ!俺たちのせいだぞ!何の関心もねぇからこんなことになっちまったよ。俺はこんなもんじゃないことを知ってる。今にみとけよ!武道館なんか軽く超えてやるぞ。絶対に見せてやる、俺たちだけのユートピア!」と。
「笑うなら笑えよ、笑ってみろよ大声でよ、ちきしょー」。囚人たちは叫ぶ、「笑うなら笑え」と。躍動する「ユートピア」に乗せ,自分たちの生きざまを示しながら、それでも「笑うなら笑え」と叫んでいた。彼らは約束してくれた、またここに帰ってくると。人と人とが目の前で顔を突き合わせ、互いの体温を感じ、交わりあう日をまた作ろうと。それが、自分たちの求めるユートピアだと知っているからこそ…。それでも、彼らの生きざまを見て笑いたい奴がいるなら笑えばいい、彼らはそれでも笑い続ける。自分たちの選んだ人生を謳歌するために、高笑いし続けてゆく…。
「生きることからまた逃げるのか」と歌い叫び、自分を主張しだす囚人たち。アンコールで囚人たちは、「生き恥さらし」を雄々しくぶつけだす。 何度も繰り返される「生きることからまた逃げるのか」という問いかけ。それこそが、生き逃げが追い求める命題。だからこそ、何時も何度も自分に「生きることからまた逃げるのか」と問いかけてゆく。その言葉を受け止めた人たちは、何を感じていただろうか。あなたは自分から逃げていないか。生きることから逃げることが、本当にあなたにとって正しい答えなのか…。
寅雄は言った、「生きることから逃げ出したくなったときに聴いてもらいたいラブソング」と。温かい気持ちを胸に、少しだけ夢のある歌を、はにかんだ笑みを浮かべ、囚人たちは歌っていた。本当ならここで、涙目で大きく手を振る人たちの姿がフロアにあったはず。彼らはその悔しさを、画面越しに触れている人たちにぶつけていた。「うまくいかないときは もっとうまくいってない俺たちをみて笑ってくれよ」俺たちは生き恥さらしてでも生きていくからよと…。
この物語は、何も終わってはいない。これは盛大な公開リハーサルだ。生き恥をさらし、声を枯らして叫ぶ大人たちの本気を、今度は目の前で受け止めたい。その本番のときを心待ちにしようじゃないか。夢を求めるため、彼らは生きるためにそこからまた一歩を踏み出してゆく。その一歩を、ぜひ一緒に踏み出そう。あなた自身も「生きることから逃げないため」に…。
<SET LIST>
M01 プロローグ
M02 Say What!?
M03 順風満帆
M04 アディオス
M05 脱獄戦隊ニゲルンジャー
M06 かつらがとれた
M07 今夜君を連れて
M08 泣き顔フリーマーケット
M09 監獄パラダイス
M10 やればできる子なんだから
M11 木魚バター
M12 絶叫
M13 令和維新だバカヤロー!
M14 永遠(高田エージ cover)
M15 ユートピア
enc1 生き恥さらし
enc2 生きることから逃げ出したくなったときに聴いてもらいたいラブソング
【無観客LIVEフルVer.】第三回囚人博覧会 LIVE配信アーカイブ【渋谷 TSUTAYA O-WEST】
PHOTO:chitose
TEXT:長澤智典
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生き逃げ twitter
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生き逃げ YouTubeチャンネル
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